昨夜は、イタ飯のベックさんを再訪しました。
初回と変わらずとてもおいしかったのです。パスタも美味しく
テールリゾットも最高でした。
30年以上前、北九州総合病院に就職した私は、当時の最高の
放射線診断器具できたわれながら、血管造影やジャイロを使った
透視をトレーニングしていきました。読影のカンファレンスは
毎日あったのです。
内科医としては、いろんな患者さんを診る機会が多く
内科医としての基礎のトレーニングのに励みました。
肝癌の治療に肝動脈塞栓術が有効であることが分かり、それに
のめりこんでいったのですが、奥田先生が私の主催する
内科カンファレンスにきていただけるようになり、レベルが上がりました。
とうじ奥田先生は千葉大学の教授として活躍されていたのですが
先生の教室は、肝胆膵の先端でしたので、いろんな先端の技術や
お話を聞けて、それを実践していきました。
発表や論文書きのご指導もしていただき、内科医としてのレベルを
あげていきました。
当時の北九州総合病院は、医者の発表や論文書きのバックアップも
充実していて、診療録管理室もつくり、医局の研究費用もでて
医者の勉強にはかなり良い病院でした。
今の私の医院で活躍してくれているレントゲン技師の本郷君も
その病院で知り合いました。肝癌の患者さんが亡くなると
頼み込んで剖検をさせていただき、取り出した肝臓をCTを撮っては
組織を検討し、治療効果やリピドールCTの有用性を確かめていったのです。
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現在、ホームページがウイルス感染のため閲覧
できなくなっています。復旧に努力していますが
もう少し、時間がかかりそうです。ご迷惑をかけて
申し訳ありません。
北九州総合病院の内科医師として、働き出した私は
肝動脈塞栓術にのめり込んでいきましたが、そのうち
山田先生の、肝動脈塞栓術の最初の論文が発表され、
自分の方法とほぼ同じ、であることに意を強くして
ますます、学会発表や、肝動脈塞栓術の改良に取り組みました。
油性造影剤と抗癌剤との懸濁液の動注が効果があるとの報告が
熊本の今野先生から発表され、当時使用できたマイトマイシシンCと
アドリアマイシンとの懸濁液との比較をしますと、アドリアマイシンのほうが
より効果が持続することが、血中濃度の測定で分かり、
まず油性造影剤とアドリアマイシンの懸濁液を動注して、マイトマイシンCに
浸したゼラチンスポンジ細片で栄養動脈で塞栓する方法が1番効果が高い
ことを切除標本で検討し、論文にしました。今のTACEの原型です。
同時に、油性造影剤を流して2~4週間後にCTを撮りますと
小さな転移巣の検出に役立つことが、切除標本や剖検肝の検討で
わかり、奥田先生とRadiologyに論文発表しました。世界で初の
論文でした。
脾動脈塞栓術や亜区域塞栓術、リピオドールCTでシンポジストを
重ねた私は、総合病院で奥田先生と肝臓病センターを作る夢を
持っていましたが、つまらない事件で総合病院が問題を起こし
その夢が壊れてしまいました。
今日は2例手術があり、2例とも肝硬変がひどくかなり気を遣いそうです。
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昨日は、虚血性腸炎、肝性脳症の患者さん、肝癌の患者さん
お二人の入院があり忙しい日でした。
昭和52年、晴れて熊本大学医学部を卒業し、医師国家試験にも
通り、医師となったガンちゃん先生は、奨学金をもらっていた
北九州市に就職しました。保険所の医師になるためです。
臨床研修をすませて、八幡西保険所の医師になりましたが
医師としてするすごとがありません。これではと思い
臨床研修時代、バイトでためたお金で奨学金を返し
総合病院になったばかりの北九州総合病院の内科医師になりました。
もともと器用でない私は、なんでも人の倍を経験するように
こころがけました。総合病院には、長崎大学放射線出身の先輩が
3人いまして、画像の見方はかなりきたえられました。
血管造影の先達の人たちでしたので、血管造影、透視はとくにきたえられました。
当時北九州では、初めての全身型CTで人の身体の中を見た驚きは新鮮でした。
肝臓の中を見るには、シンチ検査と血管造影ぐらいしかなかった時代でしたので
肝癌の患者さんをみる機会が自然と多かったのです。
肝癌治療の方法として抗がん剤動注をしていましたが、ほとんど効きません。
文献を調べるうち、腎がんの塞栓術を読んだ私は、同じく血管新生の多い
肝癌に応用しました。これがうまく行き肝動脈塞栓術にのめりこんでいったのです。
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